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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)123号 判決

ドイツ連邦共和国ハイデルベルク・ベルリーナー・シュトラーセ 6

原告

ハイデルベルガー・ツエメント・アクチエンゲゼルシャフト

同共同代表者

ワルター・フオン・グラース

アルブレヒト・グリッツ

同訴訟代理人弁護士

牧野良三

同弁理士

久野琢也

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

同指定代理人

森竹義昭

田中靖紘

吉野日出夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  特許庁が平成2年審判第15474号事件について平成4年1月16日にした審決を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、拒絶査定を受け、不服審判請求をして審判請求が成り立たないとの審決を受けた原告が、審決は、本願発明と引用例記載の発明との技術的思想の差異を看過し、本願発明と引用例記載の発明又は周知、慣用のものとの作用効果の差異を看過した結果、相違点の判断を誤ったものであって、違法であるとして審決の取消を請求した事件である。

一  判決の基礎となる事実

(特に証拠(本判決中に引用する書証は、いずれも成立に争いがない。)を掲げた事実のほかは当事者間に争いがない。)

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年10月12日、名称を「水硬性の物質から成る抗張材」とする発明(以下「本願発明」という。)について、1983年(昭和58年)10月13日にドイツ連邦共和国に対してした特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願(昭和59年特許願第212764号)したところ、平成2年4月13日拒絶査定を受けたので、同年8月27日査定不服の審判を請求し、平成2年審判第15474号事件として審理された結果、平成4年1月16日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年2月26日原告に送達された。なお、原告のため出訴期間として90日が附加された。

2  本願発明の要旨(特許請求の範囲)

負荷時に所定の方向で引張り緊張が加えられる、水硬性の物質から成る抗張材であって、該水硬性物質が、繊維補強材によって補強されている形式のものにおいて、水硬性物質が低収縮性及び高延性であり、繊維補強材が、引張り区域に引張り緊張の方向に対して平行に配置されていて水硬性物質によって全面的に取り囲まれている長尺の繊維束(2;2a;2b)と、水硬性物質に混入された短繊維とから成っていることを特徴とする、水硬性の物質から成る抗張材

3  審決の理由の要点

(1) 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2) 本願発明の要旨にいう「水硬性物質」について本願明細書には何ら具体的な記載がないから、これは要するに、水を添加することにより硬化し、硬化後に一般にコンクリートと呼ばれる硬化体を与える、ポルトランドセメント等通常の水硬性セメント類を指しているものであると認める。

そして、通常の水硬性のセメント類自体は、水を添加する前においても、水の添加後の硬化体においても、「延性」は有していないか、無視しうるほど小さいと認められるから、「水硬性物質が低収縮及び高延性で」あるとする旨の記載事項は、「水硬性物質」すなわち水硬性セメントの物性及び物性を基準とした材料選定を意味するものではなく、繊維補強材によって補強されている硬化体(抗張材)のことを述べており、繊維補強材によって補強されているものは、補強されていないものに比して低収縮性及び高延性であるということを意味すると認める。

そしてまた、「水硬性の物質から成る抗張材」とある点は、水硬性物質を主要成分として含む抗張材、という意味であると認める。

(3) 原査定の拒絶理由に引用された昭和57年特許出願公告第61704号公報(以下「引用例」という。)には、「連続繊維の繊維束をセメント中に配列状態に充填することにより構成し、各繊維束には部分的に分繊度の粗密を付与して適数の低分繊部分と高分繊部分とを形成し、分繊した繊維間にセメントを流入させることにより高分繊部分において繊維をセメント中に保持させたことを特徴とする繊維強化セメント部材」が記載されている。

そして、その繊維束の配置については、特定の方向に配向させることが図示されており、この配置関係の技術的意義は、応力を受けたときに繊維束によって耐えられるよう強化する方向に配向配置しているものである。すなわち、配置された繊維束方向に引張り緊張が加えられた際には、繊維束を配置していないものに比して高い引張り強度を発現することを意味しているものである。換言すれば、引張り区域に引張り緊張の方向に対して平行に繊維束を配向配置することにより、有効な引張り強度の発現をねらいとすることが含まれ、示唆されているものである。

(4) 本願発明と引用例記載の発明とを対比すると、本願発明は繊維束による補強に加えてさらに短繊維によって補強され、この短繊維が水硬性物質に混入されていることを要件としているのに対し、引用例記載の発明ではこの点につき記載がない点で相違し、その余の点は共通している。

(5) 以下、前述の相違点について検討する。

「短繊維」の点について、本願明細書に記載された短繊維の混入、配合は、セメント、コンクリート分野において、補強手段として周知、慣用のものが述べられているにすぎず(この点は、原査定の拒絶理由に引用された昭和54年特許出願公開第152018号公報(以下「周知例1」という。)にも記載されている。また、この点は、例えば社団法人日本コンクリート工学協会編「コンクリート便覧」258頁ないし260頁、977頁ないし983頁(昭和53年7月20日技報堂出版株式会社発行。以下「周知例2」という。)にも記載されており、周知、慣用のところにすぎない。)、本願発明においてもその短繊維は、前述周知、慣用の場合と同様の作用効果が奏せられるにすぎない。

してみれば、本願発明は、引用例記載の繊維束を配向配置してなる「繊維強化セメント部材」を、該部材作製の際使用する結合セメントとして短繊維を混入、配合してなる周知、慣用の補強セメントによって作製するものにすぎず、当業者の容易になしうるところであり、その作用効果も予想しうるところを出るものでない。

(6) 以上の理由により、本願発明は、引用例記載の発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項により特許を受けることができない。

したがって、原査定は妥当なものであり、これを覆すに足りる理由はない。

4  本願明細書に記載された本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果

(この項の認定は甲第2号証、第5号証による。)

(1) 本願発明は、負荷時に所定の方向で引張り緊張が加えられる、水硬性の物質から成る抗張材であって、該水硬性物質が、繊維補強材によって補強されている形式のものに関する(平成2年9月26日付手続補正書添附の明細書(以下「補正明細書」という。)2頁11行ないし14行)。

水硬性の物質から成るプレートはアスベストセメントプレート及び繊維コンクリートプレートの形ですべての形式の建材として公知であり、その良好な特性に基づいて高い評価を受けている。この場合補強に用いられる繊維は短繊維であり、十分な強度を得るためには比較的多量の繊維が必要である。本願発明は、最少量の繊維でプレート状の建材に十分な強度、つまり公知のアスベストコンクリートプレート及び繊維コンクリートプレートの強度と同等か若しくはそれを上回る強度、特に引張り強さを与える、水硬性の物質から成る抗張材を提供すること(同2頁16行ないし3頁8行)を技術的課題(目的)とするものである。

(2) 本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の要旨(特許請求の範囲)記載の構成(補正明細書1頁5行ないし15行)を採用した。

(別紙第一参照)

(3) 本願発明は、前記構成により、プレート若しくはプレート状の建材の外層の材料に高い引張り強さ、衝撃強度及び支持能力を与え、その結果、同等の特性、特に同等の支持能力を得るために、短繊維だけによって補強された汎用の繊維コンクリートプレートの場合に比べて著しく僅かな補強用繊維しか必要なく、つまり汎用のコンクリートプレートと同等の特性特に支持能力を得るのに汎用のコンクリートプレートの半分未満に減じられた繊維含有量しか必要なく、また、水硬性の物質から成るプレートにおいて実際にはサンドイッチ構造による静的な効果、すなわち、抗張材によって補強された外層が負荷を受容し、他方コアは剪断力を伝達するために働き、破損が生じるまでに多大な力が必要であり、要するに、本願発明は、短繊維だけを補強材として用いる公知のプレートに比べて著しく僅かな量の長尺の繊維束及び短繊維を使用するだけで公知のプレートと同等若しくはそれ以上の強度を持つプレートを得ることができる(補正明細書6頁18行ないし8頁19行)という作用効果を奏するものである。

5  その他の争いがない事実

引用例並びに周知例1及び2には審決認定の技術内容が記載されている(なお、甲第6号証によれば、引用例には別紙第二の各図面が添附されていることが認められる。)。

また、本願発明と引用例記載の発明との一致点及び相違点は審決認定のとおりである。そして、短繊維の混入、配合はセメント・コンクリート分野において補強手段として周知、慣用のものである。

二  争点

原告は、審決は、本願発明と引用例記載の発明との技術的思想の差異を看過し(取消事由1)、本願発明と引用例記載の発明又は周知、慣用のものとの作用効果の差異を看過した(取消事由2)結果、相違点の判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきであると主張し、被告は、審決の認定判断は正当であって、審決に原告主張の違法はない、と主張している。

本件における争点は、上記原告の主張の当否である。

1  取消事由1

引用例記載の発明は、曲げ強度を著しく高めることを技術的課題(目的)として、「連続繊維束の(中略)高分繊部分において繊維をセメント中に保持させたことを特徴とする繊維強化セメント部材」(特許請求の範囲)との構成を採用し、技術的課題(目的)とおりの作用効果を奏するものである。したがって、引用例記載の発明は、「分繊した繊維間にセメントを流入させることにより高分繊部分において繊維をセメント中に保持させ」る(2欄19行ないし22行)ことを特徴とする。すなわち、低分繊部分3aはセメントにより保持されない。その結果、低分繊部分3aにおいて繊維がセメント中に固定的に保持されない(3欄17行ないし19行)。これに関連して「低分繊附部分3aにおいては必ずしも積極的な分繊を行わなくても差支えない」(3欄24行ないし25行)。これは低分繊部分にセメントが入り込まないことの当然の結果である。そして、上記の連続繊維には、セメントスラリー槽14内においてノズルからセメントペーストが噴射される(4欄12行ないし15行)が、このセメントとは、「無機質の膠着剤を指し、ポルトランドセメント等の外に、石膏、石灰などのプラスター類を含むものである」(3欄30行ないし33行)。すなわち、引用例記載の発明で用いられる別紙第二第1図のセメント4及び第2図の2付近のセメントは短繊維を含まないことが判明する(もっとも、第2図に限り、曲げ強度を一層高めるために、繊維強化セメント部材の上下表面に近い位置に第1図の場合と同様に繊維束2を配置した状態を示すが、第2図の2で示す部分付近のセメントには短繊維が含まれていない。)。「第2図は曲げ強度を一層高めるために、繊維強化セメント部材1の上下表面に近い位置に、第1図Aの場合と同様に繊維束2を配置した状態を示すものである。この場合、上下の繊維束層の中間には、繊維、モルタル、金網等の補強材、ウレタン等の断熱材、ゴム、フェルト、コルク等の防音材を充填しても差支えない。」(2欄36行ないし3欄5行)と記載されているから、上記補強材、断熱材、防音材等は第2図の上下繊維層の中間にのみ充填することが教示されているだけであり、第1図のセメント部材1、セメント部分4及び第2図の2部分付近のセメントには少なくとも短繊維は含まれていない。

これに対し、本願発明は、プレートの引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度を著しく高めることを技術的課題(目的)とし、繊維補強材が、引張り区域に引張り緊張の方向に対して平行に配置されていて低収縮性及び高延性である水硬性物質によって全面的に取り囲まれている長尺の繊維束と、水硬性物質に混入された短繊維とから成っていることを特徴とする、水硬性の物質から成る抗張材という構成(特許請求の範囲)を採用し、技術的課題(目的)とおりの作用効果を奏するものであり、殊に、本願明細書の「平らなプレートでは抗張材は繊維によって補強された外層であり、両外層は中実のコア(中略)によって互いに耐剪断性に結合されている。」(補正明細書4頁13行ないし16行)との記載、「第1図には(中略)これらの繊維束2はプレート1の外層における水硬性の物質と共に抗張材4を形成し、両抗張材4は中実のコア3によって互いに結合されている。」(同5頁15行ないし20行)との記載及び「本発明による抗張材はプレートもしくはプレート状の建材の外層を形成し、これらの材料に高い引張強さ、衝撃強度及び支持能力を与える。」(同6頁18行ないし20行)との記載に照らせば、繊維束2及びこれによって補強された抗張材はともにプレートの外層に配置されているのであって、発明として引用例記載の発明とは技術的思想を全く異にする。

審決は、以上の技術的思想の差異を全く看過して、本願発明は引用例記載の繊維束を配向配置してなる「繊維強化セメント部材」を該部材作製の際使用する結合セメントとして短繊維を混入、配合してなる周知、慣用の補強セメントによって作製したものにすぎないから、引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明することができたと判断したもので、誤りである。

2  取消事由2

審決は、本願発明においてその短繊維は周知、慣用の場合と同様の作用効果を奏するにすぎず、本願発明の作用効果は当業者が予想しうるところを出ない、と認定判断している。

しかしながら、本願発明は、抗張材が低収縮性及び高延性である水硬性物質によって全面的に取り囲まれている長尺の繊維束と、低収縮性及び高延性である水硬性物質に混入された短繊維とから成っている繊維補強材によって補強されていることを眼目として他の構成要件と結合して補正明細書記載の優れた作用効果を奏している。

すなわち、合成の短繊維だけによって補強された公知のプレートでは平均して約5(容量)%の繊維を必要とするのに対し、本願発明の抗張材は、本願発明の要旨の構成を採用したことにより、公知のプレートと同等の支持能力及び衝撃強度を得るのに約2.5(容量)%の繊維を必要とするのみである。言い換えれば、主要補強材として役立つ長尺繊維束の活用度を50%から最高100%にまで高めることが可能となった(甲第12号証)。

また、本願発明は公知の「水硬性物質に混入された短繊維」と新規な技術である「水硬性物質によって取り囲まれている長尺の繊維束」とをもって繊維補強材を構成したことにより、公知のプレートの引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度よりもはるかに高い引張り強さ、衝撃強度及び支持力を建材に付与することができ、しかも公知のプレートの半分の繊維含有量を必要とするのみであり(平成2年9月26日付手続補正書添付の明細書4頁10行ないし8頁19行参照)、繊維補強材はコンリート組成材料のうち最も高価な部分であるので、経済的利点は著しい。

本願発明のこのような顕著な作用効果は、引用例記載の発明又は周知、慣用のものによっては到底奏されないものであり、作用効果の差異は明らかであるのに、審決は、これを看過したものである。

第三  争点に対する判断

一  取消事由1について

原告は、審決の一致点及び相違点の認定を認めた上で、審決は本願発明と引用例記載の発明との技術的思想の差異を看過した結果、相違点の判断を誤ったことを審決の取消事由として主張する。

本願発明は最少量の繊維でプレート状の建材に十分な強度、特に引張り強さを与える水硬性の物質から成る抗張材を提供することを技術的課題(目的)とし、本願発明の要旨記載の構成を採用し、その結果抗張材の引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度を改善できる等の作用効果を奏することは前記第二の一4認定のとおりである。

これに対し、甲第6号証によれば、引用例記載の発明は、繊維セメント部材の曲げ強度を著しく高めることを技術的課題(目的)とし(2欄1行ないし16行)、特許請求の範囲記載の構成、すなわち「連続繊維の繊維束をセメント中に配列状態に充填することにより構成し、各繊維束には部分的に分繊度の粗密を付与して適数の低分繊部分と高分繊部分とを形成し、分繊した繊維間にセメントを流入させることにより高分繊部分において繊維をセメント中に保持させたことを特徴とする繊維強化セメント部材」(1欄28行ないし34行)という構成を採用し、その結果従来製品より優れた曲げ強度を得ることができ、しかも曲げ応力を除去したときは曲げひずみが回復し、優れた可撓性を有するという作用効果(5欄2行ないし9行)を奏するものと認められる。

上記認定事実によれば、引用例記載の発明は繊維セメント部材の曲げ強度を著しく高めることを技術的課題(目的)とするものであり、甲第6号証を調べても引用例には引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度を改善することを技術的課題(目的)とする旨の記載は見当らない。

しかしながら、この技術的課題(目的)の差異による構成の差異は、本願発明は繊維束による補強に加えてさらに短繊維によって補強され、この短繊維が水硬性物質に混入されていることを要件としているのに対し、引用例記載の発明ではこの点の記載がないことに留まり、それ以外の構成が共通していることは原告の認めて争わないところであって、原告が取消事由1において主張する構成の差異は審決が相違点として摘示しているところに帰着する。

なお、原告は、本願発明では長尺の繊維束2及び短繊維によって補強された抗張材はプレート又はプレート状建材の外層に配置されるのに対し、引用例記載の発明ではそうでない点で技術的思想に差異があるのに、審決はその技術的思想の差異を看過した、と主張するが、本願発明の要旨は、前記第二の一2のとおりの、水硬性の物質から成る抗張材という点にあり、その抗張材は、本願発明の特許請求の範囲に記載された構成を満せば足り、当該抗張材をプレート(別紙第一のFig.1及びFig.2参照)又はプレート状建材(Fig.3)の外層とすることは本願発明の不可欠な構成要件ではない。しかも、甲第6号証を精査しても、引用例に引用例記載の発明の「繊維強化セメント部材」の使用態様を限定する記載は見当らないから、引用例記載の発明を本願明細書にいわゆるプレート又はプレート状建材の外層として使用することを排除すべき理由もないから、原告の上記主張は失当である。

そして、短繊維の混入、配合はセメント、コンクリート分野において補強手段として周知、慣用のものであることは当事者間に争いがなく、甲第8号証によれば、周知例1には「4.14 繊維質補強材」の「4.14.1 概要」の項には「繊維質補強材は、主としてコンクリートまたはモルタルの引張強度、ひびわれ強度および衝撃に対する抵抗性などを増大させる目的で用いられる短い繊維状材料である。」(258頁5行、6行)と記載され、さらに、「第2章 繊維補強コンクリート」の「2.1 概説」の項には「コンクリートの引張強度、曲げ強度、ひびわれ強度、靱性または耐衝撃性などの改善を図るために、繊維質補強材を均等に分散せしめたコンクリートを繊維補強コンクリートという。」(978頁13行ないし15行)と記載されていることが認められるから、本件出願当時セメント部材の引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度を改善することは当業者にとって周知の技術的課題(目的)であり、かつこの課題を解決するために短い繊維状材料を混入すればよいことも当業者にとって周知、慣用の技術であったことが明らかである。

そうであれば、引用例記載の繊維強化セメント部材を作製するに際し、当該セメント部材の引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度を改善するという周知の技術的課題(目的)を解決するために、使用する結合セメントとして周知、慣用の技術的手段である短繊維を混入する技術的手段を採用することは当業者にとって容易に想到できたことというべきである。

したがって、本願発明と引用例記載の発明との技術的思想の差異を理由に、両者の相違点に係る構成が容易に想到できたとする審決の判断を誤りであるとする原告の主張は理由がない。

二  取消事由2について

1  原告は、本願発明は、抗張材が低収縮性及び高延性である水硬性物質によって全面的に取り囲まれている長尺の繊維束と、低収縮性及び高延性である水硬性物質に混入された短繊維とから成っている繊維補強材によって補強されていることを眼目として他の構成要件と結合して補正明細書記載の優れた作用効果を奏している、と主張する。

しかしながら、短繊維の混入、配合という前記の周知、慣用の技術は、前述のとおり、セメント部材の引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度を改善する技術であるから、引用例記載の発明と周知、慣用技術とを結合し、繊維補強材として引張り区域に引張り緊張の方向に対して平行に配置されていて水硬性物質によって全面的に取囲まれている長尺繊維束と、水硬性物質に混入された短繊維とを併用すれば、抗張材の引張り強度、支持力(耐力)及び衝撃強度の改善を図ることができることは、容易に予測しうるというべきであるから、上記原告の主張に係る本願発明の作用効果は、当業者が予測しうる範囲内のものというほかはない。

2  原告は、更に具体的に公知のプレートでは平均して約5(容量)%の繊維を必要とするのに対し、本願発明の抗張材は、公知のプレートと同等の支持能力及び衝撃強度を得るのに約2.5(容量)%の繊維を必要とするのみであると主張するが、甲第12号証によれば、その主張に沿うように、原告の研究開発部の担当者であったアドルフ・マイヤーの宣誓供述書には、本願発明の抗張材は負荷容量において引用例記載の抗張材のほぼ2倍に高められ、又は同等の負荷容量を得るために繊維量をほぼ半分にすることができるとの記載があることが認められる。

しかし、この主張とおりであるとしても、本願発明は水硬性物質に混入された短繊維による補強に加え、水硬性物質によって全面的に取り囲まれている長尺の繊維束によっても補強されており、その作用効果においては長尺の繊維束と短繊維の作用効果が相加的に発揮されると予想されるから、本願発明の抗張材において公知の抗張材と同等の作用効果を得れば良いのであればその短繊維の混入量を減少させることができることは容易に予測しうるというべきである。

3  なお、原告は、本願発明は、公知の「水硬性物質に混入された短繊維」と新規な技術である「水硬性物質によって取り囲まれている長尺の繊維束」とをもって繊維補強材を構成したことにより、公知のプレートのよりもはるかに高い引張り強さ、衝撃強度及び支持力を建材に付与することができ、しかも公知のプレートの半分の繊維含有量を必要とするのみである、と主張する。

しかしながら、前記第二の一3及び5のとおり、繊維補強材として水硬性物質によって取り囲まれている長尺の繊維束を用いる技術は、本件出願当時、引用例に記載された公知の技術であって新規な技術ではなく、また、前記1及び2のとおりであるから、この主張も理由がない。

4  そうすると、取消事由2は採用することができない。

三  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当として棄却すべきである。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

別紙第一

〈省略〉

別紙第二

〈省略〉

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